誰もが感じている「心が自由にならない」思いを自由にしていけるような、連載の第1回です。
最初に、僕自身の話を書かせていただきたいと思います。

僕の実家は、自営でお店を営んでおり、両親がそれを経営していたので、僕や妹弟は祖母が育ててくれました。

お店は極めて忙しく、深夜まで両親は仕事をしていたので、僕は母親から育てられたという記憶がありませんでした。

両親が共働きで、あるいは何らかの事情で祖母に育てられた、という話は、そんなに珍しい話ではないように思いますが、僕の家の場合は少し感じが違うところがありました。

その話をしていくには、まず、祖母と父の話にさかのぼらなければなりません。

僕の父が生まれてすぐ、父の父にあたる方、つまり僕の祖父はすでに家にいなかったので、祖母は自分の母親に父をあずけて働きに出ていました。

ですので、祖母は子育てをした経験がなかったんですね。

僕は長男として生まれたので、祖母にとっては初孫だったんですが、こうした事情から、祖母にとっては、文字通り、息子のような存在として育てられたのです。

僕の両親も、祖母の事情を知っていたので、祖母が自分の息子のように思って僕を育てているということは、我が家の前提条件みたいになっていたように思います。

子どもというのは不思議なもので、僕は、こうした祖母の思いや、それを見守る立場になる母という二人の雰囲気というのを、幼心から察していたように思います。

今振り返れば、ということになりますが、僕にとっては、母親が二人いるような感覚だったのではないかと思います。

あえて表現すれば、
母といる時には、祖母に遠慮し
祖母といる時には、母に遠慮し

いつもどこかで気をつかっていたような気がします。

物心ついた時から、僕は毎日、なんだか息苦しさを感じていました。

それは、こうした両親と祖母の事情や、さらにはもっと先の代の、祖母と曾祖母との事情を、無意識に感じていたのではないかと思います。


「八日目の蝉」は、家族の絆の話です。
それを観た時に、僕が自分の生い立ちを思い出したのは、自然なことだったと思います。
そして、この小説や映画を観た、たくさんの人が、自分の生い立ちや家族について、そしてその絆について、考えたり感じたりすることになったのではないかと思います。


☆ 続く ☆

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