誰もが感じている「心が自由にならない」思いを解き放つヒントにしていただけるような連載をはじめました。
その第6回です。
☆このブログは「八日目の蝉」の内容に踏み込んで記述しているところがあります。これからこの小説や映画等をご覧になろうとされている方は、その点についてご理解の上、ブログをお読みください。

前回は、「八日目の蝉」に出てくる母親の気持ちと罪悪感、そして私自身の母親への思いについて書かせていただきました。

この物語のストーリーをもう一度整理してみたいと思います。

「今日まで母親だと思っていた人が、自分を誘拐した犯人だった。
1985年に起こったある誘拐事件ー。
不実な男を愛し、子を宿すが、母となることが叶わない絶望の中で、男と妻の間に生まれた赤ん坊を連れ去る女、野々宮希和子と、その誘拐犯に愛情一杯に4年間育てられた女、秋山恵理菜。実の両親の元に戻っても、「ふつう」の生活は望めず、心を閉ざしたまま21歳になった恵理菜は、ある日、自分が妊娠していることに気づく。相手は、希和子と同じ、家庭を持つ男だった。過去と向き合うために、かつて母と慕った希和子と暮らした小豆島へと向かった恵理菜がそこで見つけた真実。そして、恵理菜の下した決断とは・・・?(映画「八日目の蝉」オフィシャルサイト/解説より)」


ここで、もう一度、私自身の話を振り返らせていただきたいと思います。
私の父は、実の母である私の祖母が出稼ぎに行っていて育てられなかったので、曾祖母に育てられました。
父の息子である、私が生まれた時、子育てをしたことがなかった祖母が、自分の子どものように私を育てる、というのは、祖母が自分の母がやっていたことと同じことだったんですね。

祖母も父も、すごく苦しかったんじゃないかと思うのですが、次の世代でも同じことをやってしまったんですね。
この話は、まさに、家族に代々続く悲しみの連鎖、みたいなものだと私は感じていました。

ですから、私も、祖母と父がそうであったように、ちょっとアンバランスな親子関係の中で育っていくことになったので、普段は意識していないんですけど、なんだか息苦しい人生を送って来たように思います。

幼い頃、私は、祖母の愛を全面的に受けて育ったのですが、両親、特に母親からは、愛されないっていう感じがあったように思います。

自営のお店は本当に忙しくて、両親は明け方近くまで仕事をしていたのです。
ですから、普段も昼くらいまで寝てるんです。
そうすると子どもとサイクルが完全にずれるんですね。
私の小さい頃の両親の印象というのは、いつも寝ている、というものでした。
子どもにはわからなかったけど、それほど忙しかったということなんです。

普段接点が少ないので、たまに休みの時とかに、母親がいたりすると、どうやって甘えていいかわからない。
実際には甘えていたはずなんですが、甘えられたという感覚が思い出せないのです。

私は、祖母と母という、二人のお母さんに挟まれるような状態になっていたように思います。

どうして私の中で、「八日目の蝉」の物語がこれほど引っかかっていたかというと、主人公の恵理菜が、誘拐犯である育ての母と、実の母、その二人の母の中で葛藤した人生だったっていうのが、映画の中で、ずっと展開されるからなんだと気がつきました。

あ、そうか、私の意識の下にあった、母と祖母の間で揺れ動いていた感覚を思い出すからなんだな、だから、ものすごく引っかかるんだなっていうふうに思ったのです。


成人してから気がついたのですが、私は自分の子どもが絶対欲しくないと思っていました。
はじめ理由がわからなかったんですが、心理学を学ぶようになって、その理由がわかりました。

それは、もうこの家族の連鎖を止めたいと無意識に思っていたんですね。
自分が結婚して子どもが生まれたら、今度、また同じことが起こるかもしれない。
それはどうしても嫌だったんです。

私は、今の奥さんと20歳で付き合い始めたのですが、結婚するのに11年かかったんですね。
31歳の時にやっと結婚したんです。

その理由の大きな一つは、結婚して子どもができて家族ができるのが怖かったんだと思います。

実際に結婚しても、私は子どもが欲しくなかった。
人のマインドというのは素直にできていて、心で欲しくないと思っていると、避妊しているわけではないのに、子どもができなかったのです。

結局、7年経っても子どもができないので、両家の親も、私たち夫婦には子どもの話題に出せなくなっていきました。

ところが、そこで転機が訪れるのが、私がカウンセリングに出会ったということなんですね。

カウンセリングを受け始めた理由は、全く別のものだったのですが、自分の心と向かい合っていく作業を進めて行くうちに、驚くべき気づきがあります。
それは、「自分は誰にも愛されない」という思いを心の奥底に持っていたということでした。

その元は、両親が愛してくれなかった、という思いです。

でも、それは誤解でした。
これだけ忙しかった父と母は、物理的に僕をかまうことが出来ないわけです。両親にしてみれば、仕方がなかった。
でも、だからといって愛していなかったわけでない。
むしろ、愛していたからこそ、とても苦しんだのではないか、という思いに行き着きます。
そこで、「もしかして自分は愛されてたのかもしれない」と思うようになっていったのです。


☆ 続く ☆

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