誰もが感じている「心が自由にならない」思いを解き放つヒントにしていただけたら、との思いから、この連載をはじめました。
その第10回です。
その第10回です。
☆このブログは「八日目の蝉」の内容に踏み込んで記述しているところがあります。これからこの小説や映画等をご覧になろうとされている方は、その点についてご理解の上、ブログをお読みください。
前回は、
自分のルーツを知ること。
自分の忘れていた過去や状況を想像し材料を集め、当時の両親の心理を知ること。
それが、自らの記憶を「愛されなかったストーリー」に書き換えてしまった心を、解放することにつながり、今度は、それを「幸せのストーリー」に描きなおすことになる、というお話を書かせていただきました。
過去の状況を想像したり材料を集めていく作業は、時に、忘れていた記憶を思い出す事につながることがあります。
「愛されていなかったストーリー」を自分の心が描いているときは、悪いことばかり起こったように感じます。
記憶に残っていないのに、そう書き換えてしまうのですね。
そういう時は、思い出す事があっても、悪いことばかり、だったりします。
ところが、これが「愛されていたストーリー」であると気がつくと、今まで忘れていた「愛されていたエピソード」を思い出すことにもなります。
映画の中では、主人公の恵理菜は、過去に住んでいた小豆島に戻ってみることで、過去に愛されていたエピソードを思い出し、自分の記憶から消してしまった幼い頃の自分と今の自分がつながっていくことになります。
実は、自分は愛されていたのかもしれない、という思いに気づいた時、今度は逆に、この視点で見直すことができるようになります。
そうすると、忘れていた、してもらったうれしかったことや、愛されていたという記憶を思い出すことがあります。
私自身もこうした体験をしたことがあります。
カウセリングで自らの過去を振り返り、材料を集めたり、当時の両親の気持ちを想像していく作業をくり返していくうちに、ある時、すっかり忘れていた記憶を思い出したのです。
小さい時に家族で海に遊びに行った時のことを。
私はその時、浮き輪で一人で海に浮いていたのですが、何かの拍子に、浮き輪から手が離れてしまい、溺れてしまったんです。
結構、岸から離れていたところにいたと思います。
そのため、岸からも、周囲からも、誰も私に気がついてくれる人がいなくて、助けてと叫ぶんですが、海水が口に入ってきて声にならない。
もうだめだ、と思いながら、もがき続けたんですね。
ところが、そんな私を見つけてくれた人がいました。
母です。
母はその時、ちょうど私が視界に入らないところにいたはずなんですが、まるで誰かに教えてもらったように、はっ!と私のいる方向を向いて、まっしぐらに海に飛び込んで、私のところまできてくれたのです。
助けてくれた母にしがみつきながら、泣きじゃくる私に、母は何度も何度も
「ばかやねえ!」「ばかやねえ!」と言っていた記憶があります。
それは、こんな遠くまで流されて浮き輪を離してしまった私への言葉だったのか。
それとも、こんな状態まで見つけられなかった母自身への言葉だったのか、わかりません。
ただ、もし、あの時、母が気がついて助けてくれなかったら、私は今、この世にいません。
今思い返しても不思議なのですが、母が私に気がついたのは、母親が子どもを思う気持ちが引き起こしたようにしか思えないのです。
母性の力、親子の絆とでも言えばいいのでしょうか。
なのに、こんな大切なエピソードも忘れて、私は母に愛されていなかったのだ、と恨んでしまっていたのです。
もし、私が「愛されていないストーリー」を描き続けていたら、一生、この「愛されていたエピソード」を思い出さなかったかもしれません。
「愛されていたストーリー」に気がついて、それを描いていこうと決めた時、こうした記憶が甦ってきたように思います。
もしかしたら、あなたにも、今は忘れているだけど、こうした愛されたエピソードがあるのかもしれません。
たとえ思い出さなくても、そう思ってあげることで、自らの記憶を「愛されなかったストーリー」に書き換えてしまった心を解放することにつながり、今度は、それを「幸せのストーリー」に描きなおすことにつなげていく大きな力になるのではないかと思うのです。
☆ 続く ☆
これまでの連載記事は >>>>こちらをご覧ください。
前回は、
自分のルーツを知ること。
自分の忘れていた過去や状況を想像し材料を集め、当時の両親の心理を知ること。
それが、自らの記憶を「愛されなかったストーリー」に書き換えてしまった心を、解放することにつながり、今度は、それを「幸せのストーリー」に描きなおすことになる、というお話を書かせていただきました。
過去の状況を想像したり材料を集めていく作業は、時に、忘れていた記憶を思い出す事につながることがあります。
「愛されていなかったストーリー」を自分の心が描いているときは、悪いことばかり起こったように感じます。
記憶に残っていないのに、そう書き換えてしまうのですね。
そういう時は、思い出す事があっても、悪いことばかり、だったりします。
ところが、これが「愛されていたストーリー」であると気がつくと、今まで忘れていた「愛されていたエピソード」を思い出すことにもなります。
映画の中では、主人公の恵理菜は、過去に住んでいた小豆島に戻ってみることで、過去に愛されていたエピソードを思い出し、自分の記憶から消してしまった幼い頃の自分と今の自分がつながっていくことになります。
実は、自分は愛されていたのかもしれない、という思いに気づいた時、今度は逆に、この視点で見直すことができるようになります。
そうすると、忘れていた、してもらったうれしかったことや、愛されていたという記憶を思い出すことがあります。
私自身もこうした体験をしたことがあります。
カウセリングで自らの過去を振り返り、材料を集めたり、当時の両親の気持ちを想像していく作業をくり返していくうちに、ある時、すっかり忘れていた記憶を思い出したのです。
小さい時に家族で海に遊びに行った時のことを。
私はその時、浮き輪で一人で海に浮いていたのですが、何かの拍子に、浮き輪から手が離れてしまい、溺れてしまったんです。
結構、岸から離れていたところにいたと思います。
そのため、岸からも、周囲からも、誰も私に気がついてくれる人がいなくて、助けてと叫ぶんですが、海水が口に入ってきて声にならない。
もうだめだ、と思いながら、もがき続けたんですね。
ところが、そんな私を見つけてくれた人がいました。
母です。
母はその時、ちょうど私が視界に入らないところにいたはずなんですが、まるで誰かに教えてもらったように、はっ!と私のいる方向を向いて、まっしぐらに海に飛び込んで、私のところまできてくれたのです。
助けてくれた母にしがみつきながら、泣きじゃくる私に、母は何度も何度も
「ばかやねえ!」「ばかやねえ!」と言っていた記憶があります。
それは、こんな遠くまで流されて浮き輪を離してしまった私への言葉だったのか。
それとも、こんな状態まで見つけられなかった母自身への言葉だったのか、わかりません。
ただ、もし、あの時、母が気がついて助けてくれなかったら、私は今、この世にいません。
今思い返しても不思議なのですが、母が私に気がついたのは、母親が子どもを思う気持ちが引き起こしたようにしか思えないのです。
母性の力、親子の絆とでも言えばいいのでしょうか。
なのに、こんな大切なエピソードも忘れて、私は母に愛されていなかったのだ、と恨んでしまっていたのです。
もし、私が「愛されていないストーリー」を描き続けていたら、一生、この「愛されていたエピソード」を思い出さなかったかもしれません。
「愛されていたストーリー」に気がついて、それを描いていこうと決めた時、こうした記憶が甦ってきたように思います。
もしかしたら、あなたにも、今は忘れているだけど、こうした愛されたエピソードがあるのかもしれません。
たとえ思い出さなくても、そう思ってあげることで、自らの記憶を「愛されなかったストーリー」に書き換えてしまった心を解放することにつながり、今度は、それを「幸せのストーリー」に描きなおすことにつなげていく大きな力になるのではないかと思うのです。
☆ 続く ☆
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