誰もが感じている「心が自由にならない」思いを解き放つヒントにしていただけたら、との思いから、この連載をはじめました。
その第11回です。
☆このブログは「八日目の蝉」の内容に踏み込んで記述しているところがあります。これからこの小説や映画等をご覧になろうとされている方は、その点についてご理解の上、ブログをお読みください。

映画「八日目の蝉」を撮られた成島監督が、何かの折に、演じる女優さん達と「誘拐は絶対許される行為ではない、ということだけは忘れずに作っていこう」と語られていた事が、とても印象に残っています。

誘拐や犯罪はどんな理由があれ、許されることではありません。
この物語について語っていくのに、これはとても重要なことであると、私は思います。


さて、映画「八日目の蝉」で、主人公の恵理菜は、世界一悪い女だと思っていた、誘拐犯に育てられた4年間を過ごした地を訪ね歩くことになります。

その中で、当然、最悪だと思い込んでいた、4歳までの記憶を思い出していきます。
実の母に思い出したら申し訳ないという気持ちから、無意識に封印された記憶。

本当は愛情豊かに育てられたという記憶です。

その記憶を取り戻すことで、恵理菜は、本当の自分を取り戻していきます。
愛される価値がないと思っていた自分が、実は、愛されていた、ということを思い出すことは、自分が愛される価値があることを取り戻すということです。

前の記事で書かせていただきましたが
この映画を観た私のクライアントさんが、みんなそろって「自分が受けたカウンセリングのようだ」という感想を言われていました。

この連載で私自身の話を度々書かせていただきましたが、私がそうだったように、そして、私のクライアントさんも、恵理菜のように、この失われた過去を取り戻す作業をされていきました。

状況は様々ですが、みんな何かしらの辛い状況を耐えて大人になった人ばかりです。
中には、あまりに辛くて、辛い状況だったことに気がつかずにいた方も見えました。
自覚していたり、自覚していなかったり、また大きさや形はそれぞれでしたが、みんな、親に愛されなかったと思い、親を恨んでいました。
けれど、それぞれの方のプロセスで、それは誤解だったこと、本当は愛されていたことを取り戻していくことで、ようやく自分らしく生きることができるようになった方ばかりです。

映画「八日目の蝉」の成島監督と原作の角田光代さんが、この物語について、「魂の解放」ということを対談で語っておられたことがあります。

その言葉を聞いた時、そうだ、カウンセリングもそうなんだ、と思ったんですね。

カウンセリングとは、まさに、「心が解放されていく」作業なんだと思います。
今、心を縛っているのは、「愛されていなかった」という、自らが作り出した鎖です。

失われた記憶や思いを思い出してあげる、誤解を解いてあげる、そして、状況ややり方は大変だったり間違っていたりしたかもしれないけれど、しかたがなかったんだ、と思う事ができた時。

そこでやっと私たちの心は自由になることができると思うのです。

☆ 続く ☆

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