誰もが感じている「心が自由にならない」思いを解き放つヒントにしていただけたら、との思いから、この連載をはじめました。
その第12回です。
☆このブログは「八日目の蝉」の内容に踏み込んで記述しているところがあります。これからこの小説や映画等をご覧になろうとされている方は、その点についてご理解の上、ブログをお読みください。

 はじめに、先週、この連載を事情により掲載できなかったことをお詫び申し上げます。


さて、私がカウンセリングによって「心が自由になった」ことによって、得ることのできた最大の財産は、子どもを授かったことでした。

自分にも子どもができていいのかもしれない、と思えるようになった私。
そして、その思いが妻にも伝わったのでしょう。

私たち夫婦は、私の心が変化するとすぐに、子どもを授かりました。

実は、今回のお話を講演することになり、そしてブログで連載することになったのは、当時5歳の娘の言葉がきっかけになっています。

ちょうど、映画「八日目の蝉」を観た頃に、娘が突然、私にこんなことを言い出したのです。

「お父さん、辛いことがあった時には、わたしの顔を見ればいいんだよ。
 だって、お父さん、わたしのこと大好きでしょ。
 だから、わたしの顔を見るだけで元気になれるんだよ!」

それを言われて、私はすごく感動したんですね。
そして、それと同時に、私がカウンセリングを受けて、カウンセラーになっていく過程でずっと思い続けていた「我が家の悲しみの連鎖を止めること」が本当にできたのだな、と思いました。

子どもが苦しみを背負い続けなければならないという悲しみの物語の連鎖が、娘の言葉で、この子には伝わっていないと感じたからなのです。

と、そう思ったすぐに。

私は「まてよ?」と思い直したんですね。

これは、私の娘に限った話なんだろうか。
誰だって小さい時には、こうしてなんの疑いもない顔をして、親に対して愛を語ることができたんじゃないか。

ちょうど、映画で誘拐した偽りの母である希和子に対して、誘拐犯かどうかは関係なく、自分にまっすぐな愛情を向けてくれる母親に対して、子ども時代の恵理菜が純粋に愛を語ったように。

このまっすぐな愛情がなければ、希和子が自暴自棄になってしまったかもしれないところを、悲劇にならずにしていたのかもしれない。


私の娘がそうであったように
だったら、私自身もそうだったのかもしれない。

忘れてしまっただけで、私は両親や祖母に、こうして「大好き」とか「ぼくといると元気になれるよ」と言っていたのかもしれない。

そう考えた時。
実は、悲しみの物語の連鎖そのものが、なかった話なのかもしれない、と思えたんですね。

悲しみの物語を作り、それを引き継いでいかなければならないと遺言のように誰かに言われたわけではありません。
私が勝手に、先祖代々の遺言のように、引き継いでしまっていた。
まるで、家宝を引き継ぐような気持ちで。

娘から教えてもらったこと。
悲しみの物語を止める、のではなく、悲しみの物語はなかったのだ。
なぜなら、そもそも自分は、素直に両親に愛を語れる、愛に満ちた存在だったはずだ、と思えたのです。


これは私だけのお話なのでしょうか。
映画だけのお話なのでしょうか。

私はそうは思いません。
なぜなら、私のクライアントさんが、形は違えど、みんな同じように、愛を取り戻し、人の心は愛でできているんだと語ってくれたからです。

だったら、それは、他の人にも当てはまるのではないでしょうか。

それが、私の感じた思いでした。

☆ 続く ☆

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