誰もが感じている「心が自由にならない」思いを解き放つヒントにしていただけたら、との思いから、この連載をはじめました。
その第15回です。
その第15回です。
☆このブログは「八日目の蝉」の内容に踏み込んで記述しているところがあります。これからこの小説や映画等をご覧になろうとされている方は、その点についてご理解の上、ブログをお読みください。
その方は、面談カウンセリングにこられて、すぐ、こんな言葉を発せられました。
「男性に対して、嫌悪感が強くて、受け入れられないんです。」
この連載で、私がこの映画を観た頃に、不思議と私のカウンセリングを受けてくださっているクライアントさんが同じように映画を観て、私と同じような感じを感じられていたと書かせていただきました。
今回も、そんな中の一人の方、Cさんのお話です。
(ご本人に許可を得て書かせていただいています。)
Cさんは、代々続いている名門の旧家の出身。
両親も、祖父母も、誰もが一目おく仕事に就き、また、周囲からも信頼されている家でした。
そんな家の一人娘として生まれたCさん。
幼い時から、跡取りとして育てられ、その扱いはまるで長男。
女性というより、男性のように育っていきます。
その期待に応えようと、成績も優秀、真面目で学級委員を務めるような優等生。
父親との会話ができるようにと、テレビ番組も、ゴルフ、野球などを好んで観るほどでした。
当然、自分のことを女性とは思えません。
ところが、彼女は、周囲から見ると、とても美しい女性で、男性からアプローチを受けることもしばしば。
でも、それを受け入れられなかったのです。
彼女の中では、二つの自分が葛藤していました。
ひとつは、跡取りとして、期待を背負った長男のような心。
もうひとつは、女性として、女性らしく振舞うという一人娘の心。
でも、女性としての自分を認めることはできませんでした。
それほど、代々続く家の重みは大きく、その期待を担うことしか、生きる道がないと思っていたのです。
自分の心より、大切なのは家。
女性らしさより、成績優秀でクラスのみんなを引っ張っていけるリーダーシップが大切。
そんな風にして、成長していったのです。
ところが、大人になるにつれて、困ったことが起こります。
それは、男性に嫌悪感を感じて、近づけないということでした。
しかし、それは彼女にとって許されないこと。
なぜなら、婿をもらって、家をつがなければならなかったからです。
男性を嫌悪する心理はいろいろありますが、彼女の場合は、自分の中の女性の部分を感じることを禁止していることが原因でした。
人は基本的に、異性を意識します。
男性なら、女性が近くにこれば、自分の中の男性の部分が反応し
女性なら、男性が近くにこれば、自分の中の女性の部分が反応する。
Cさんも、同じで、男性が近くに寄ってくると、自分の心の中にある、女性の部分が反応します。
ところが、生い立ちから、彼女は自分の女性の部分を徹底的に感じないようにしていました。
感じないようにしているのに、男性が近くに寄ってくると、その隠していた女性の部分があがってこようとします。
実は、男性そのものを嫌悪しているのではなく、自分の中の女性の部分を嫌悪していたのです。
女性を感じてしまうのが嫌なのに、その反応を引き起こしてしまう男性を嫌っていると感じていたのです。
Cさんは、カウンセリングを通じて、この心理を、ゆっくりと時間をかけて、自分の中で納得していく作業を積み重ねていかれました。
そして、最も心の自由を縛っているのは、家という重さ。
その部分についても、時間をかけて、感じていかれました。
そして、最終的には、誰にも言えなかった「助けて!」という言葉を、イメージワークで自分自身に言うというアプローチをしていったの
です。
ずっと我慢してきた。
期待に応えるために、やりたいことも、女性らしさも、なにもかも。
本当は、こんなに我慢していたの、こんなに助けて欲しかったの。
その思いのたけをすべてぶつけた「助けて!」は、文字通り心の叫びでした。
そのカウンセリングを終えられて、しばらくして、Cさんは、両親に思いを話す、というチャレンジをされたのです。
生まれて初めて伝える本音、それを両親は、きちんと受け止めてくれた、と語ってくれました。
心から流す涙を始めて両親の前で流すことができた瞬間。
それが、Cさんの「心の自由を開放」した瞬間でした。
前回のお話でも紹介いたしましたが、
映画「八日目の蝉」の中で、誘拐した赤ちゃん=恵理菜を連れた、誘拐犯の希和子が、女性だけが自給自足をしている特殊な団体の中に逃げ込んで、一時期、身を隠すというエピソードがあります。
大人になった恵理菜は、その環境で子ども時代に共に育った女性=千草、との再会から、自分探しの旅に出る事になるのですが、千草は、女性しか存在していなかった環境で育ってきたことで、男性に近づけない、恋愛ができないという大きな悩みを持っていました。
Cさんも、この映画を観ておられて、最も印象に残ったのが、映画の中で、千草が男性が苦手だ、と告白したシーンだったそうです。
男性が苦手なことを言えずに苦しんでいた自分と重なった、このシーン。
「あなたとなら、ここから出て行けると思ったの」という千草が、恵理菜に語って、二人で自分探しの旅に出たように、Cさんも自分の心の中と向き合うことで、がんじがらめに縛られていた心から出て行くことができたのではないかと思います。
☆ 続く ☆
これまでの連載記事は >>>>こちらをご覧ください。
その方は、面談カウンセリングにこられて、すぐ、こんな言葉を発せられました。
「男性に対して、嫌悪感が強くて、受け入れられないんです。」
この連載で、私がこの映画を観た頃に、不思議と私のカウンセリングを受けてくださっているクライアントさんが同じように映画を観て、私と同じような感じを感じられていたと書かせていただきました。
今回も、そんな中の一人の方、Cさんのお話です。
(ご本人に許可を得て書かせていただいています。)
Cさんは、代々続いている名門の旧家の出身。
両親も、祖父母も、誰もが一目おく仕事に就き、また、周囲からも信頼されている家でした。
そんな家の一人娘として生まれたCさん。
幼い時から、跡取りとして育てられ、その扱いはまるで長男。
女性というより、男性のように育っていきます。
その期待に応えようと、成績も優秀、真面目で学級委員を務めるような優等生。
父親との会話ができるようにと、テレビ番組も、ゴルフ、野球などを好んで観るほどでした。
当然、自分のことを女性とは思えません。
ところが、彼女は、周囲から見ると、とても美しい女性で、男性からアプローチを受けることもしばしば。
でも、それを受け入れられなかったのです。
彼女の中では、二つの自分が葛藤していました。
ひとつは、跡取りとして、期待を背負った長男のような心。
もうひとつは、女性として、女性らしく振舞うという一人娘の心。
でも、女性としての自分を認めることはできませんでした。
それほど、代々続く家の重みは大きく、その期待を担うことしか、生きる道がないと思っていたのです。
自分の心より、大切なのは家。
女性らしさより、成績優秀でクラスのみんなを引っ張っていけるリーダーシップが大切。
そんな風にして、成長していったのです。
ところが、大人になるにつれて、困ったことが起こります。
それは、男性に嫌悪感を感じて、近づけないということでした。
しかし、それは彼女にとって許されないこと。
なぜなら、婿をもらって、家をつがなければならなかったからです。
男性を嫌悪する心理はいろいろありますが、彼女の場合は、自分の中の女性の部分を感じることを禁止していることが原因でした。
人は基本的に、異性を意識します。
男性なら、女性が近くにこれば、自分の中の男性の部分が反応し
女性なら、男性が近くにこれば、自分の中の女性の部分が反応する。
Cさんも、同じで、男性が近くに寄ってくると、自分の心の中にある、女性の部分が反応します。
ところが、生い立ちから、彼女は自分の女性の部分を徹底的に感じないようにしていました。
感じないようにしているのに、男性が近くに寄ってくると、その隠していた女性の部分があがってこようとします。
実は、男性そのものを嫌悪しているのではなく、自分の中の女性の部分を嫌悪していたのです。
女性を感じてしまうのが嫌なのに、その反応を引き起こしてしまう男性を嫌っていると感じていたのです。
Cさんは、カウンセリングを通じて、この心理を、ゆっくりと時間をかけて、自分の中で納得していく作業を積み重ねていかれました。
そして、最も心の自由を縛っているのは、家という重さ。
その部分についても、時間をかけて、感じていかれました。
そして、最終的には、誰にも言えなかった「助けて!」という言葉を、イメージワークで自分自身に言うというアプローチをしていったの
です。
ずっと我慢してきた。
期待に応えるために、やりたいことも、女性らしさも、なにもかも。
本当は、こんなに我慢していたの、こんなに助けて欲しかったの。
その思いのたけをすべてぶつけた「助けて!」は、文字通り心の叫びでした。
そのカウンセリングを終えられて、しばらくして、Cさんは、両親に思いを話す、というチャレンジをされたのです。
生まれて初めて伝える本音、それを両親は、きちんと受け止めてくれた、と語ってくれました。
心から流す涙を始めて両親の前で流すことができた瞬間。
それが、Cさんの「心の自由を開放」した瞬間でした。
前回のお話でも紹介いたしましたが、
映画「八日目の蝉」の中で、誘拐した赤ちゃん=恵理菜を連れた、誘拐犯の希和子が、女性だけが自給自足をしている特殊な団体の中に逃げ込んで、一時期、身を隠すというエピソードがあります。
大人になった恵理菜は、その環境で子ども時代に共に育った女性=千草、との再会から、自分探しの旅に出る事になるのですが、千草は、女性しか存在していなかった環境で育ってきたことで、男性に近づけない、恋愛ができないという大きな悩みを持っていました。
Cさんも、この映画を観ておられて、最も印象に残ったのが、映画の中で、千草が男性が苦手だ、と告白したシーンだったそうです。
男性が苦手なことを言えずに苦しんでいた自分と重なった、このシーン。
「あなたとなら、ここから出て行けると思ったの」という千草が、恵理菜に語って、二人で自分探しの旅に出たように、Cさんも自分の心の中と向き合うことで、がんじがらめに縛られていた心から出て行くことができたのではないかと思います。
☆ 続く ☆
これまでの連載記事は >>>>こちらをご覧ください。