誰もが感じている「心が自由にならない」思いを解き放つヒントにしていただけたら、との思いから、この連載をはじめました。
その最終回です。
その最終回です。
☆このブログは「八日目の蝉」の内容に踏み込んで記述しているところがあります。これからこの小説や映画等をご覧になろうとされている方は、その点についてご理解の上、ブログをお読みください。
この連載で、私がこの映画を観た頃に、不思議と私のカウンセリングを受けてくださっているクライアントさんが同じように映画を観て、私と同じような感じを感じられていたと書かせていただきました。
連載の中で、3名のクライアントさんのお話を紹介させていただきましたが、最後は、もう一度、連載(13)で書かせていただいたAさんのお話に戻らせていただきたいと思います。
Aさんからいただいたメールを紹介して、連載(13)は終わっておりますが、このメールには続きがありました。
(連載(13)は >>>>こちらをご覧ください。)
辛い体験から、感情を感じないように、まるで心を麻痺させて生きてきたAさん。
カウンセリングで、この麻痺してしまった心に取り組み、感情を感じるようになり、今まで感じられなかった、「楽しい」「うれしい」という気持ち、そして、「やりたいこと」が見つかり、自分らしく生きることを手に入れていかれました。
初めて面談カウンセリングでお話した時の、本当に心が麻痺してしまって、何も感じることができない彼女が、感情を感じられるようになり、生き生きとした笑顔を取り戻していった姿を、私はずっと見てきました。
連載の中でご紹介させていただいた、3名のクライアントさんは、ケースは違っても、みなさん、そうでした。
それだけに、連載で紹介させていただいたメールやお話をいただいた時には、本当にうれしかったです。
そして、ここでは紹介できなかった、たくさんの方々についても。
無表情だったり、苦しそうな表情だった方々が、最後には笑顔になっていかれた。
その笑顔を私は忘れる事ができません。
私自身が、そして、私が出会った方々が感じておられた「心が自由になる」ということ。
その過程や内容を、なんとか表現したいと思って始めたこの連載でしたが、私の力不足で、表現不足、不適切な表現、わかりにくいところが多々あったのではないかと思います。
そして、伝えたくても書けなかったところがたくさんあった連載でした。
そんな連載を最後まで読んでいただいたことを深く感謝しています。
「心が自由になった」ことをまっすぐに語ってくれたAさんのメールの後半を紹介させていただき、この連載を終えたいと思います。
長きに渡り、この連載をお読みいただき、本当にありがとうございました。
* * * * * * *
今の私の救いは、感情を感じられるようになった事と感謝の気持ちです。
今は、話をできる人がいる。
話ができる友達に出会えたこと、池尾さんに会えたことへの感謝。
感謝できる人に出会えただけでも素晴らしいなと。
私の知らなかった感情を知ることができたから、感謝もできるし
もし、感じることがなかったら、私は一人だと気づいてもいなかった。
それは、私にとって、人にならないと感じられないもので
「私は一人だ」と感じたり、苦しいことを感じることは辛いけど、それを感じるのも悪くないと。
表現が適切ではないかもしれないけど、それは人として生きるご褒美みたいなものだと思います。
なぜなら、だからこそ、喜びや温かさを感じられるようにもなったから。
そこから感じられる「一人ではない」という感じ、温かさを感じられるようになったことは、私にとっては本当にすごいことでした。
思い出したのは、映画の中で、希和子(誘拐犯)が薫(誘拐した子)と、1日でも長く居られますように、と毎日願っていたことです。
私も昔、どうか今日1日が無事に過ぎますように、これ以上何も起こりませんように、と朝起きた時に
毎日願うのが習慣でした。
ただ耐えていた日々、ひたすら苦しかったし、苦しすぎて感覚がなくて、生きた心地など全然なくて、ただ不安と恐怖から耐える。
どうして私なんだろう、と思っていました。
でも、私はいつもギリギリのところで助けられていて、生かされている。
面談カウンセリングの後、昔のアルバムを見ようと思いました。
4歳くらいまでの写真を見て、七五三の写真やひな人形の横に座っている私は笑っていました。
そして、その写真が、祖父母の家で撮ったものだと初めて気がつきました。
私はそんなに祖父母の家に行った記憶はないのですが、この写真を見ただけで、実は家族とつながっていたんだな、と思ったのです。
この世界が怖いという感覚は、私が当たり前に自分の中にある感覚だけど
それは違うのかもしれない。
この世界は、本当は別の感覚で包まれているのかもしれない。
今は、そう思います。
☆ 「心が自由になるために」 完 ☆
これまでの連載記事は >>>>こちらをご覧ください。
この連載で、私がこの映画を観た頃に、不思議と私のカウンセリングを受けてくださっているクライアントさんが同じように映画を観て、私と同じような感じを感じられていたと書かせていただきました。
連載の中で、3名のクライアントさんのお話を紹介させていただきましたが、最後は、もう一度、連載(13)で書かせていただいたAさんのお話に戻らせていただきたいと思います。
Aさんからいただいたメールを紹介して、連載(13)は終わっておりますが、このメールには続きがありました。
(連載(13)は >>>>こちらをご覧ください。)
辛い体験から、感情を感じないように、まるで心を麻痺させて生きてきたAさん。
カウンセリングで、この麻痺してしまった心に取り組み、感情を感じるようになり、今まで感じられなかった、「楽しい」「うれしい」という気持ち、そして、「やりたいこと」が見つかり、自分らしく生きることを手に入れていかれました。
初めて面談カウンセリングでお話した時の、本当に心が麻痺してしまって、何も感じることができない彼女が、感情を感じられるようになり、生き生きとした笑顔を取り戻していった姿を、私はずっと見てきました。
連載の中でご紹介させていただいた、3名のクライアントさんは、ケースは違っても、みなさん、そうでした。
それだけに、連載で紹介させていただいたメールやお話をいただいた時には、本当にうれしかったです。
そして、ここでは紹介できなかった、たくさんの方々についても。
無表情だったり、苦しそうな表情だった方々が、最後には笑顔になっていかれた。
その笑顔を私は忘れる事ができません。
私自身が、そして、私が出会った方々が感じておられた「心が自由になる」ということ。
その過程や内容を、なんとか表現したいと思って始めたこの連載でしたが、私の力不足で、表現不足、不適切な表現、わかりにくいところが多々あったのではないかと思います。
そして、伝えたくても書けなかったところがたくさんあった連載でした。
そんな連載を最後まで読んでいただいたことを深く感謝しています。
「心が自由になった」ことをまっすぐに語ってくれたAさんのメールの後半を紹介させていただき、この連載を終えたいと思います。
長きに渡り、この連載をお読みいただき、本当にありがとうございました。
* * * * * * *
今の私の救いは、感情を感じられるようになった事と感謝の気持ちです。
今は、話をできる人がいる。
話ができる友達に出会えたこと、池尾さんに会えたことへの感謝。
感謝できる人に出会えただけでも素晴らしいなと。
私の知らなかった感情を知ることができたから、感謝もできるし
もし、感じることがなかったら、私は一人だと気づいてもいなかった。
それは、私にとって、人にならないと感じられないもので
「私は一人だ」と感じたり、苦しいことを感じることは辛いけど、それを感じるのも悪くないと。
表現が適切ではないかもしれないけど、それは人として生きるご褒美みたいなものだと思います。
なぜなら、だからこそ、喜びや温かさを感じられるようにもなったから。
そこから感じられる「一人ではない」という感じ、温かさを感じられるようになったことは、私にとっては本当にすごいことでした。
思い出したのは、映画の中で、希和子(誘拐犯)が薫(誘拐した子)と、1日でも長く居られますように、と毎日願っていたことです。
私も昔、どうか今日1日が無事に過ぎますように、これ以上何も起こりませんように、と朝起きた時に
毎日願うのが習慣でした。
ただ耐えていた日々、ひたすら苦しかったし、苦しすぎて感覚がなくて、生きた心地など全然なくて、ただ不安と恐怖から耐える。
どうして私なんだろう、と思っていました。
でも、私はいつもギリギリのところで助けられていて、生かされている。
面談カウンセリングの後、昔のアルバムを見ようと思いました。
4歳くらいまでの写真を見て、七五三の写真やひな人形の横に座っている私は笑っていました。
そして、その写真が、祖父母の家で撮ったものだと初めて気がつきました。
私はそんなに祖父母の家に行った記憶はないのですが、この写真を見ただけで、実は家族とつながっていたんだな、と思ったのです。
この世界が怖いという感覚は、私が当たり前に自分の中にある感覚だけど
それは違うのかもしれない。
この世界は、本当は別の感覚で包まれているのかもしれない。
今は、そう思います。
☆ 「心が自由になるために」 完 ☆
これまでの連載記事は >>>>こちらをご覧ください。