一週間!である。
何の話か。
池尾家日誌の更新が滞った期間である!
開始以来、こんなに滞ったことはない!
なぜ、こんなに滞ったのか。その理由は、
「私が書かなかったから」
である!
威張っていうことではない。
更新はまだですか?
と何人もの方に聞かれました。
反省しております・・・。
池尾家日誌9巡目です。
「祖母は祖母でも」
「木っ端ミジンコ」
「空腹爆弾」
>>>「『池尾家日誌』・もくじ」
前回の私の妻への問いかけは、
であった。
前回の千里の日誌はこちらをご覧ください↓
地図が読めない女【池尾家日誌】おばあちゃんDNA : 心理カウンセラー◆池尾千里
ふたりの会話にはありとあらゆるジャンル、信仰とは、戦争の話、お陰様、おばあちゃんの生い立ち、数知れない武勇伝行ってみたいところ ...
いや、今回は(今回だけ?)私が悪い。
何が悪いって、問うた時に、メインの問いかけの中に肝心なことを書いてなかったからだ。
私の前回の日誌をよく読んでもらうとわかるのだが・・・。
囲ってあるメインの問いかけの下に
「千里も千里自身のおばあちゃんから教えてもらったことが沢山あると思うので、その一つを教えてください。 」
と書いてあったのだ。
つまり、私の祖母から教わったことではなくて、千里自身のおばあちゃんから教わったこと、を問うてみたのだが・・・。
私の問いかけがまずかったのはわかる。
その通りだ。
この通り謝る。
ごめんなさい。
しかし・・・
しかし・・・
これはもしや、私だけではなく、千里も頓珍漢(トンチンカン)だったということにならないであろうか。
確かに、確かに私の祖母は逸話が山ほどある人であるが、
前回の千里の日誌に出てきた、私と妻と祖母と3人で車で旅行中に、祖母の話を聞いていた後部座席にいた千里が突然、号泣しはじめた、なんてエピソードもあったな・・・。
*
私は、千里のおばあちゃん、つまり、千里のお父さんのお母さんのこともとても好きであった。
もう亡くなっておられるが、私にはいつも優しい、それでいて、結構若い時は気っ風が良かったんじゃないかという感じが好きだった。
千里の実家に遊びにいくと、いつも、とても気を使ってくれて、台所に立って料理を作っていた印象がある。
私も、千里も、おばあちゃん子ということや、おばあちゃんが大変苦労人だったことが共通点だったことを思い出したよ。
*
前回の日誌で千里から問われた質問はこちら。
回答は、
「そんなこと微塵も思ったことはない」
である。
みじん切りの話でも、ミジンコの話でもない。
ミジンコといえば、「木っ端ミジンコ」である。
微塵もないので、ミジンコの話にはならないのである(キッパリ!)
どういうことかというと、
「何かをしてあげることが嬉しかった」
からである。
なぜかと言うと
「千里からもらっているものに比べて自分は何もあげられてない」
と思っていたから。
今ならとんだ勘違いとわかるが。
今も親しくしている親友夫婦が私に怒ったのは、ある意味、心理学でいうところの「補償行為」的な私の動機が嫌だったのでは、と思う。
もしくは、
「全肯定が相手への愛情とは限らない」
ということだったのかもしれない。
「お互いの全肯定で、お互いの悲しみを隠す」
というのは、私たち夫婦の大きな課題だったのだけど、当時、そんなことに気づくこともなく・・・。
そう思うと、当時から、友人をはじめ、たくさんの人が心配して、応援してくれていたのだなあ、と思う。
申し訳ない限りだけど、深く感謝しています。
まあ、確かに、地図を読んでもらうと不機嫌になったから、というのも、理由と言えなくもない。
しかしながら、当時の私にとっては「地図で不機嫌」よりも、「彼女はお腹が空くと極めて不機嫌になる」という「空腹爆弾」を抱えていたので、それを解消するために、美味しいお店に全力で車を走らせていたような気がする。
逆言えば、
「何か食べさせておけば機嫌がいい」
とも言える。
しかし、そこに苦痛はなかった。むしろ喜びであった。何かを食べて、素直に真っ直ぐ喜んでもらえることは、喜びだったから。
だから私にとっては救いになったのだ。
なった。
納豆。
納得。
なんとなく納得したので(私が勝手に)
というわけで、私から千里に問うてみたいと思う。
(これで終わりかい!)
池尾千里の返信をお楽しみに!
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