池尾家日誌12往復目です。
「最も感じたくないと抵抗しているのは自分の中の愛」
「コストコのくま」
「昌紀の絵心」
抵抗という言葉がある。
電気の抵抗ではない。
心理学でいうところの抵抗である。
カウンセリングや講座、セミナーではよく出てくるこの言葉。
「彼に『ごめんなさい』と言えたらいいけど抵抗がある」
「お母さんに『ありがとう』と言いたいのに抵抗がでる」
みたいな話。
抵抗は、心の中にある「何か」が表面意識に上がってきて、その「何か」をはっきり感じるのが嫌なので、その嫌から自分を守るために発動されると考えてみると、わかりやすいのでは、と思う。
上記の彼にごめんなさい、お母さんにありがとう、と言いたいけど言えない場合は、多くの場合「罪悪感」が上がってくるので、それを感じたくない!と思うわけですよ。
ごめんなさいとありがとうが、罪悪感を刺激すると言ってもいい。
池尾家日誌の冒頭から、突然何の話を書いているかというと、抵抗の話でも罪悪感の話でもないのである。
前回の私の日誌で
「次の池尾家日誌の私の担当については11月21日(土)までには必ず書きます!と最初から予告させていただきます!」
と高らかに宣言しておきながら、今日は11月22日(日)である!ということが言いたいのである。
つまり、なぜ昨日のうちに私が日誌を書くことができなかったのか、それはもしかして抵抗ではないのか、その抵抗はなぜ生じたのかということについて、深く考察しているのである。
これは、
「池尾家日誌を書く→妻の顔が思い浮かぶ→嫌な気持ちになる」
ということなのではないだろうか。この気持ちを感じたくなくて、抵抗していたのではないか。
しかし、なぜ嫌な気持ちになるのであろう。
冒頭の話で言えば、私は何かしらの罪悪感を感じていることになる。
ここで、抵抗の話に戻ってみる。
カウンセリングでは、
・彼にごめんなさいを言う時の抵抗→彼に何か申し訳ないと思っているらしい
・母にありがとうを言う時の抵抗→母に何か申し訳ないと思っているらしい
ここまで話が進んだ場合、罪悪感に気づくことはとても大切だけれど、その先にあるものが最も大切とお伝えしていく。
それは
「最も感じたくないと抵抗しているのは自分の中の愛」
ということ。
彼に対しての愛情、お母さんに対しての愛情がとても大きいので、自分がこんなにも愛していると気づくことに抵抗があるのです。
「抵抗あるところに愛が隠れている」
私はそうお伝えしています。
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素直に書くの忘れたと言わんかい!(←天の声)
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何事もなかったかのように再開する。
さて、明日(11/23)は池尾家の「恋愛しくじり先生」講座が再び開催される。
7月にカウンセリングサービスの母体である「神戸メンタルサービス」のイベントとして2日間8組のカウンセラーが自らの恋愛しくじり話からレッスンをお届けするという企画があり、我々夫婦も出演させてもらった。
それが再び、今度は神戸メンタルサービスの恋愛心理学講座(2時間)で帰ってくるという企画。
打ち合わせでは、人生で一番離婚に近づくという大変な思いをしながら、しかし、おかげで夫婦で今まで未完了だったことが向き合えたという、思い出に残る企画になった。
それに先立ち、7月の講座の一部を15分くらいに編集された動画がアップされている。
明日も、視聴してくださる皆さんに少しでもお役に立てる講座にするよう、再び打ち合わせをしています。
お申し込みは11/22・15時までです。
◎お申し込みはこちら>>>「神戸メンタルサービス・オンライン講座」
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前回のやり取りでコストコの話が出たが、コストコには面白いものが時々売っていて、それを実際に買っている、つまり、あの大きなショッピングカートに実際に積まれているのを目にするととてもインパクトがある。
前回の池尾千里の日誌はこちら
夫がメガネを作りまして【池尾家日誌】今夜18:00!Youtubeプレミア公開します : 心理カウンセラー◆池尾千里
7月の恋愛心理学講座『しくじり恋愛先生』をリニューアルして開講します。 その時の動画です。 15分ほどの動画ですのでお気軽にご覧いただけたらと思います。
例えば、コストコにはものすごく大きなくまのぬいぐるみが売っているが、くまさんがカートに入れられて移動している姿はなかなかの圧巻である。
あんなに大きいのに値段が安いのがすごい。
しかし、我が家には置くスペースがない。
いつも、あのくまさんが我が家のリビングに置かれたらどんな感じになるのかな、と想像してしまう。
子供が一人増えた感じになるのだろうか。
うっかり、夕飯の食器を一人分余分に置いてしまったらどうしよう。
それでもって、最近、父に冷たい子供たちの代わりに、私がくまさんに語りかけてしまったりしたらどうなるのだろう。
昌紀「くまさん、今日は一日なにをして過ごしていたの?」
くま「動けないからじっとしていた」
こんな会話が夕飯で展開されたら・・・シュールすぎる!
いや、シュールとかいっている場合ではなく、家族からドン引きされてしまうのではないか。
いや、そもそも、私は何の心配をしているのか。
心配より、信頼・・
心配より、信頼・・
心配より、信頼・・
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本題に入る。
前回の私から千里への問いかけ
その答えが「作・画 塚原祐基さんの『岐阜マン』」
(画像はお借りしました)

こ、これは・・・予想外の展開。ご当地岐阜の漫画が来るとは。
確かにこれは読んでみたい!
この絵はグッときそうだ。しかも岐阜のことが知れる。
なんか、鳥獣戯画みたいな絵だな。
しかし、千里から続けて以下のように書かれてしまったぞ。
「是非、読んでみたいのでよろしくお願いします。」
こ、これは・・・私に買えということなのだろうか。
いや、そもそも「興味のある本は何ですか」と問うた以上、この展開を読めなかった私が悪いということか・・・。
これが夫婦の思惑のすれ違いってやつか・・・。
ところで、千里から
「いけ夫の描く絵にどこか似ています。」
と書かれたが。本当にそうだろうか。
描いてみた。
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さて、前回、千里から私への問いかけはこちらであった。
うーむ。
これは答えるのが難しい。
質問とはずれてしまうが、昔は、やたらめったら多方向に好奇心のアンテナを広げていて、広げすぎてよく疲れていた。
しかし、今考えるとあれは「本当に打ち込めるものを探していた」ように思う。
もちろん、様々なジャンルのことに興味を持って楽しんだり知識を得たり感じたりしたことは今も大きな財産になっていると思うのだけど、ある意味、必死に探していたんだろうな、とも思う。
これは、しくじり恋愛先生の講座の中でも語った話なんだけど、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスに出会って、そこでの学び、出会いによって、本当に打ち込めるものに出会えた。
その結果、カウンセラーとして、時に講師として活動ができるようになり、当初の「本当に打ち込めるものを探す」ことはする必要がなくなったので、アンテナを広げることをしなくなった気がする。
しかし、もっと高みを目指したいとか、心の学びを進めるほど、興味が湧いてくることはたくさんあるので、今もそのままといえばそうなんだけど。
昔と違って、いろんなことに興味が持てることを楽しめるようになってきているので(時に今も修行モードになって自分を追い込むが)忙しいとは思ってないですかね。
こんな回答で良いのか?
それを言うなら、千里だって同じようにいろんなことに興味を持って、しかも、それを楽しめるところは昔も今も変わってなくて、すごいと思うけどなあ。
では、今回の私からの千里への問いです。

